水道水3

いつのころからか日本では、水は水道水よりもボトル入りのミネラルウオーターのほうが安全で、おいしく、なおかつ健康によいと言うことになっている。水はいまやタダではなく買う時代である、などと言われるようになっている。これはどこかおかしい。
果たして水道水は危ないかというと危ないはずがない。水道水のもととなる水源から浄水方法、その結果の水質まですべて厳格に管理されているのである。水道法に基づく水質基準は厚生省管轄である。ここで、国だ厚生省だなんかに安全をませられるか!などと言ってはおしまいである。世間を騒がす目を覆いたくなるような事件あるいは不祥事はあったとしても。その水道法では水質基準が46にものぼり、細菌、重金属、有機物、農薬、洗剤成分、さらには色や味まであるのである。そして水質自体は浄水方法の高度技術導入により良くなっているのである。
一方ミネラルウオーターであるが、こちらは食品衛生法管轄となり、清涼飲料水と同じ扱いになる。製品そのものが水であるミネラルウオーターと、清涼飲料水の原料となる水では、水質は水道法に準じるか別途食品衛生法で定める水質基準を満たすことになる。ところが天然のミネラルウオーターは水道法の水質をクリアできるとは限らない。自然には自然の必然的に含まれるミネラルがあり、それらの項目では水道法よりも甘い規準となっている。そして、この基準には水道法にあるような揮発性有機物、トリハルメタン類、農薬などの項目はない。ミネラルウオーターの水源で現在あるいは過去にこれらの汚染があってもそれは把握されることは無く、そもそも問題自体が存在しない。水道水の水源としての取水場所、ダム、水源保安林のようにミネラルウオーターの水源が隔離されて管理されているかと言うとそんなことはない。それどころか地下水源はまずます汚染される一方である。
なぜミネラルウオーターの基準が甘いかと言うとそれはこの水自体が清涼飲料水と同じ嗜好品だからである。水道水のように日常的に飲用として使われることを想定されていないからである。リスクを限りなくゼロに近づけるために基準はあるのではない。全体のバランスである。仮にミネラルウオーターの基準を水道水並に厳しくしたとすると、基準をクリアできる飲用のミネラルウオーターは限られてしまう。有名なフランス産のあの水もこの水も、ケチがつけれれているまずい水道水を作る、水道法の水質すらクリアできないのである。モノによっては排水するのさえはばかられる「汚い」ミネラルウオーターも存在する。
水質についてそれでもなおかつミネラルウオーターの方が良いとしても更なる問題はボトルである。ミネラルウオーターを使えば使うほどボトルが廃棄物として出てくる。ボトル素材としてポピュラーなPETはリサイクルするにもこれと言って使い道がない。燃やしても大してエネルギーは得られないし、フリースがいくら売れてもたいした量ではない。もてあまして埋めたてるようなことになれば、しかもどこか山奥となればそれこそ地下水源を汚染することになり本末転倒である。ボトル輸送にかかるエネルギーも無視できない。かたや既存のインフラで各家庭までパイプラインで運ばれると言うのに。
ミネラルウオーターが健康に良いと言うのはある種の信仰のようなものと捉えるのが良いのかもしれない。フランスの著名なミネラルウオーター産地にある水を使用した保養所は明らかに医学的な効能をうたっているがそれが市販の水にまで及ぶことはない。水のおかげで体調が良くなったのならそれはそれで良い。しかしそれは約束されたものではない。日本の温泉にも基準がないのだから。
味。これは完全に嗜好。個人の世界である。

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