恐怖の大魔王、アンゴルモア


世紀末から8年、みなさまいかがお過ごしでしょうか?いまになって振り返るとじつにばかばかしい話でしたが、20世紀の終わりには世紀末にあわせた終末論とか予言が横行していましたね。もちろんみんなそろってそれらを信じていたわけではないですし、どちらかと言うと面白半分、そういう意味ではある種タイムリーなお笑いだったのかもしれません。世紀末は100年に一回必ず訪れますが、人の一生では一瞬です。世紀末の話題も本調子になったのは20世紀ラストスパートといったころだったのではないでしょうか。世紀末がいままさにそこという現実がなければ、UFO、宇宙人、未確認動物とか世界の七不思議のほうがよほどミステリー性が高いでしょう。そして世界がまだ狭くなかったころ、未開のジャングル探検でさえ川口浩のターゲットとして2時間の特番が組めたのですから。

世紀末の筆頭といえばやはり「ノストラダムスの大予言」だったのではないでしょうか。恐怖の大王とか。ハルマゲドン接近。ええと幻魔大戦でしたっけ。私はまだ中学生でした。原作小説も角川のアニメも見ませんでした。わたしはどちらかというと同じ角川でも「赤川次郎」とか「眉村卓」とか「筒井康隆」とか。映画のほうがリアルタイムでは見ませんでしたが片っ端から小説は読みましたね。もちろんこれらが純文学からは程遠く、SFとしてもかるーい小説であることはわかっていたのですが、なんせ中学生ですからこれくらいでよかったのです。いまどきならライトノベルっていうのでしょうか。しかし新井素子や氷室冴子は手が出なかった。当然と言えば当然。さらに平井和正も。そう、学園モノでタイムトラベラー、超能力者、超常現象、エリート学生による学園支配・・・なんか思い出してきました。そしてラベンダーあたりがキーワードですね。ハードSFのような確たる科学的基盤より物語のシチュエーションが楽しかったのでしょうか。今だからいえますが、私はラベンダーという花もその香りも当時知りませんでした。富良野にもラベンダーがまだ一本も生えていなかったとおもいますし。なんともまあ。 「ラノベ」卒業後は純文学をふくめそれなりのものを読みました。そして最後はキワモノに走るのです。阿部公房は一通り読んだ。SFも本格的なものも。しかし洋モノはだめですね。名前がカタカナばっかり。しかもしきたりが多すぎる。それもインチキ科学だったり。日本ではやはり小松左京が好きでした。「日本沈没」と「首都喪失」はSFであり、かつ社会ドラマとしても秀逸でした。しかし首都喪失はあまりに安っぽい映画がショックでした。最近ではリメイクされた日本沈没がまたショックでした。最後はやっぱりカミカゼかよって。

そういえば予言の典型的なパターンとしてはすでに起こった歴史的な事件を預言書とされる書物から見つかることですね。そこには比較的直接的な表現があったり、超難解な解釈があったり、そして文学的に難しい高等な比喩があったり。予言を解説する専門家は言います、当局の目を逃れるために直接的な表現はできなかったと。すばらしいことに予言は的確に世界大戦や経済恐慌や疫病の蔓延や天変地異まで言い当てています。しかしなんだって予言の解読は事が起こってからしか行われないのでしょう。もっと早く、すくなくとも事前にわからないんじゃ意味ないじゃんって感じです。実は聖書は預言書だったとか、ロゼッタストーンに予言アリとか源氏物語にだって・・・

新世紀になるとしかし新手の預言者が現れましたね。暗号解読なんて面倒な作業は不要で予言内容をストレートに書いてくれる。テレビにも何度か登場したブラジルの英語教師。名前は忘れましたが。予知夢の内容を公証役場の証明印つきで当事者に送っているんですね。これならアンゴルモアだのマルスだのいったい何のことかわからないなんてこともありません。しかも予言があまりに正確なんで、逆に信憑性が疑われるのはなぜでしょう?それは未然に防げた例が紹介されなかったからではないでしょうか?事前にわかったって防げなかったら意味ないじゃんって感じです。しかも2001年のワールドトレードセンターとかサダムフセインとかネタがビッグすぎます。なんかやっちゃったっていうか。日本の予言もあるようですが、台風と地震は論外ですね。だってかならず来るんですから。で、特筆すべきは長崎市長の殺害事件。警告を事件の10年前に長崎市役所に送ったそうですね。しかし役所も困惑するでしょう。殺害されるという予言よりもそのターゲットが3選されるというのを間接的に予言しているのですから。選挙って何?っていいたいです。

私はプロレスに興味はないのですが、なんとなくわかるような気が今はするんですね。そう、ノストラダムスの予言の様式美というかなんというか。そう、矢追純一が真剣になればなるほど白けるが、韮沢ナントカが大槻教授と白熱すればするほど楽しいのである。もう何が真実であるかなんてどうでもいいのである。

さて、ノストラダムス。フランス人なんですね。当然予言はフランス語でかかれているんです。別に今明らかになったことでもなく、昔からそうだったのですが、私にとってフランス語で書かれているという意味は今と昔とではおお違い。では引用してみましょう(Wikipediaより)。著作権は切れていますよね、ミシェル?

L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois
Du ciel viendra un grand Roi deffraieur
Resusciter le grand Roi d'Angolmois.
Avant apres Mars regner par bon heur.

おお、読める、読めるぞお〜(ムスカ)

これはWikipediaの訳。

1999年、7か月、
空から恐怖の大王が来るだろう、
アンゴルモワの大王を蘇らせ、
マルスの前後に首尾よく支配するために。

私の詩の先生はいいました。詩なんてものは意味や中身はそこそこに、声にしたときの響きが重要。とくに韻が重要であると。ここではSept moisとAngolmois、deffraieurとbon heur。で、韻を踏むために復活するのは本当は別の大王だけどアンゴルモアにしちゃったあるいは、sept mois自体が韻のための当て語だったとか。deffraieurとbonheur、どっちかが韻のための意味のない当て語だったら?

予言としていつどこで何が起こるかが必要ですが、これはずいぶん正確に時を伝えていますね。sept moisを七の月、7月かというのもありますがフランスでは一般的でないですね。septの月はむしろseptembre、9月。7ヶ月と解釈するならば、恐怖の大王がアンゴルモア大王を蘇らせ3月にはハッピーな統治をするまでが7ヶ月。3月には完了するなら前の年の8月には事を起こさねばなりません。septembreは消えました。Avant apresで前後一月なら9月に始めて4月に完了でもいいのでしょうが。私の解釈では恐怖の大王はアンゴルモア大王を蘇らせ、しあわせな統治(?)を行いに空から来たとなります。しかしこの来たっていう動詞が曲者で、7月に来るならともかく7ヶ月もかかって来るなんてこともないですよね。7ヶ月後に帰ってしまうのなら別ですが。

よく考えてみようこれではイベントの終了は2000年の3月ということになってしまう。私が小学生のころ、正確には覚えていないのですが、ナントカの日で何曜日だったら(13日の金曜日ではない)これまたナントカと言う呪いの何かが現れてのろわれるのでその日は夜10時から翌3時までトイレに行っては行けないという都市伝説がはやっていた。その特定の日が呪いの原因であるとも。「うそだ」といってもだれも取り合ってくれません。しかし翌3時はもう、そののろわれた日は終わっているというと皆言葉を濁すのです。新しいミレニアム幕開けを迎えてしまっては恐怖もどうだか・・・一方、1999年に7ヵ月かかって3月には終わるとなると、事は1998年の夏から1999年の3月ころまでと言うことになる。これは世間の通説とちょっと違った解釈ですね。

さてdeffraieurは恐怖なんでしょうか、私の白水社DICOには載ってないです。しかし恐怖の大王がbonheurな統治はとなんかへんです。見た目はコワイが実はやさしい?あるいは恐怖の大王も7ヵ月後に帰ってしまうのならその後はハッピーかもしれません。そうなるとアンゴルモア大王の立場はどうなるのでしょう。統治は恐怖の大王がしたはずですし。何のために復活したの?そもそもアンゴルモアって誰?ハッピーな統治は7ヶ月の後恐怖の大王からアンゴルモア大王へ統治が委譲された後のこと?

多くの人はこの予言である肖像を思い浮かべてしまう。しかしいったい誰でしょう?

恐怖の大魔王
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あるいは

アンゴルモア大王
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しかしこれは大魔王ではない。アンゴルモアでもない。著者のノストラダムスの肖像である。彼も悲しいでしょうね。ちょっとばかりコワモテなばっかりに大魔王扱いですから。彼も当時はイロオトコだったかもしれないのに。少なくともインテリではあったはずです。モンペリエ大学を出ていますし。あ、私の職場のボスもモンペリエ出だ。あ、肖像権はもうないですよね、ミシェル?しかしこれらはWikipedia日本語版からの引用です。

もしかしてアンゴル・モア!?
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これがオチなら実にナサケナイ。いまどきコギャルかよ。しかしすごいせりふですね。同じ内容でも私にはこんな表現は思いつきませんね。 なんか恐怖の大王から程遠いですし、統治者としても不適格です。しかしbonheurなら期待できるかも!?。

結論
1998年の夏ころにどちらかと言うと人から恐れられている「誰か」がその凄腕(腹心)とともにやってくるのですね。政治あるいは経済でしょうか、大なたを振るうんですね。けど7ヶ月ほどして1999年の春にはその業績や一切を腹心に譲って一線を退くのです。そのころには改革の成果も上がっていい方向に向かっているんです。

さあ、なにか思い当たるフシはないでしょうか。拓銀、山一の金融ショックは前年でしたし、カルロスゴーンは翌年ですし。うーん。

残念ながらこれがオチではないのです。でなければ何でマンガを引用したかって。引用はフランス語訳「ケロロ軍曹」からですが、このAngol moisというキャラ設定が実に絶妙なのです。もちろんノストラダムスをベースにしたネタとしてはもう賞味期限を大幅に過ぎていますが、なにしろノストラダムスがフランス人であることが幸運でした。そしてフランス語の一人称にmoiという単語があるからです。このキャラが自分を「モアは・・・」と呼ぶときそれはいったいどっちのモアだ?と。もちろん答えは本文にあります。

さらにさらに、例のノストラダムスの詩の解釈でAngolmoisはフランス南西の都市Anglemeを指すというのがありますが、この地はフランスのマンガ、アニメファンにはとっても大事なところなのです。そこでは毎年国際マンガフェスティバルが開かれているんですね。

このあたりで失礼。


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