ボジョレヌーボー


フランスにおけるボジョレーヌーボーと日本への応用を考える偏った意見である。
今や日本でも大人気の世界的イベント、ボジョレーの新酒である。その年とれたぶどうを使い即席の醸造法でワインを作り11月第3木曜に解禁するというあわただしいスケジュールで、このワインを持って今年のぶどうのなり具合やワインの出来をあれこれ評論するのである。フランス人なら誰でもここぞというときにはいいワインをと考え、家にはとっておきをもっている。そしておしゃべり好きで評論好きとなればこんないいネタはない。
新酒は例外なくフライイングなどせずに決められた日に店に並ぶ。店にはどんなスーパーマーケットにでも数種類は置いてあり、みな競うように買って帰る。フランスでもBordeauxと並んで大きなワイン産地であるBourgogne、比較的高級なものや有名な銘柄がある中でのBeaujolaisはいまいちパッとしないとおもう。新酒の儀式あってのBeaujolaisである。その点、平賀源内の土用の丑に通じるものがある。
新酒をぶどうの収穫から超特急で醸造するので特殊な醸造法が用いられる。そのためあっさり軽い口当たりで渋みもない。したがっておいしく飲みやすく、今年はなかなかいい出来だということになる。が、醸造もとごとに違っており試した数本の内一本は恐ろしく硬く、渋く、くさかった。本当にその年は当たりだなどといえるのは通常の方法で醸造され熟成されそして出荷される、少なくとも3年あとのことであろう。この超特急ワイン、このまましばらく寝かせておけばどんな味になるのか?興味がある。日保ちはしないだろうが。
さて、日本ではフランスのムルロワでの核実験の年を除いていぜんとしてワインが大人気であるがいつまでもこんな外来のものに翻弄されていて良いものか?時差の関係で日本がフランス本土よりも早く新酒が飲めても誰もうらやましく思わないし、赤ワインが健康に良いと証明されてそれみたことか!と言うよりもからだへの良し悪しよりもうまいものを求めるのがフランス人である。自分たちの文化と伝統に絶大な自信を持っているフランス人に服従することはない。
日本人の得意なあらゆる文化を吸収同化する能力と美的価値観の根源である四季をもってこの新酒の儀式を日本化するならば、日本酒だって今年とれたての米での新酒をつくれる。日本酒は米の出来不出来にあまり左右されないのであろうが、それはご愛嬌で。あらゆるおいしいものが揃う秋の豊作時期の新酒があればうれしいこと限りなし。ただ、日本酒はワインほど伝統的な醸造法を守らずにいろいろ別のもの添加したりとかなりのインチキが横行しているのでそこが問題だ。
ビールは何年か前、バブルな頃だったと思うがあるメーカーが始めたビアヌーボーがあった。他社も追従した。おもしろいので末永く続いて欲しかったがあっという間に飽きられてしまった。伝統と文化は流行とは必ずしも同じ道を歩むとは限らないが企業の営利活動がベースでは限界がある。廃れた一因のひとつとして、通常は新酒が年1回にたいして、このピール会社は色気をだして南半球の原材料を使った二毛作新酒を打ち出したことも多少なりともあるのではとおもう。年二回は過剰である。日本の文化の根底にある季節感や初物に対する期待感が薄れてしまう。日本のビールは日本の文化として独自の道を歩むに値するほど浸透している。
夏も近づく八十八夜に合わせて新茶を申し合わせたようにいっせいに解禁というのもおもしろい。
米だって、新米を一同にして今年のどこどこのなにがしは良いとか悪いとかいうのもよい。
日本人は古来より四季を感じそれに合わせた情緒豊かな文化をはぐくんできたのである。季節に因んだイベントにはなじみが良いと思う。一方で季節ものを一同に集めて良いとか悪いとか各付けするのは横並び文化にそぐわないの受け入れられにくいかもしれない。また、今年の出来はさっぱりだ!などということにでもなれば、代替となりうる別のもののあまいささやきに心を奪われることになる。
季節感を損なう輸入品、まがいもの、見当違いの本物志向が横行している。作る側はもっと職人的なプライドを持って欲しいし、買う側は物の本質を見抜いてほしい。ニセモノの製品は食文化だけでなくそれ食するものの価値観も破壊する。昨今の健康志向では動脈硬化に良いとされるポリフェノールが増量されていたり目にやさしいブルーベリーエキスが入っていたというワインがあるらしいがこれこそジャンクである。
beaujolais nouveau

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