いよいよ洞爺湖サミット開催である。そもそもフランス生活情報とは関係ないが、せっかくなのでご当地を盛り上げるためにお話をひとつ用意した。これは私の人生を完全に変えてしまった20年前の事件である。
いまから20年前、今年で21年目になるが、1977年8月7日、洞爺湖温泉街からすぐの有珠山が噴火した。当時私は小学2年生であった。思い起こすと噴火の前日(8月6日)からすでにおかしかった。地震がひっきりなしに起こっていたのであった。が、なにせ小学2年生、そして住んでいたところが恐ろしくボロい木造建築で、その日はくもりがちでとても風が強かったので「風で揺れているのだろう」と友達と納得していた。
とてもよく晴れた翌7日、朝の勉強時間が終わり、遊びに出ようとした時に窓の向こうの山から何やら煙が上がっている。山火事か?そこから事は急速に進んでいった。小さな細かい地震の揺れが延々と続き、窓の引き戸はカタカタなり続ける。山のほうからというでもなく地鳴りのような低い音が鳴る。噴煙がものすごい勢いで昇っていき、急激な上昇気流はどうやら雷を引き起こすようで噴煙に雷光がみえる。煙はあっという間に空を覆い、午前中だというのにたそがれの薄暗さだ。
避難命令ということで学校の講堂のようなところに集まらなければならなくなった。大切なものをひとつだけ持っていってよいということだったが、そのひとつが決められなかったので段ボール箱2つを抱えて注意されたのを覚えている。そこから先のことは覚えていない。恐怖で忘れてしまったというよりも遠い昔のことなので思い出せないだけだろう。父親の車で室蘭方向へ去っていく後に噴煙を上げる有珠山があり、とにかく不快な地鳴りと雷光が印象的であった。室蘭の祖父の家に着いてしばらくは晴れたいい天気であったが、のちに噴煙がここにまで及びついには火山灰が降って来た。
以下の写真は噴火直後からのものである。引用や転載ではないまったくのオリジナルの写真である。Googleあたりの画像検索で有珠山噴火を写真を探すと2000年の噴火のものはたくさん見つかるが1977年のものは皆無である。それほど希少なものなのだ。さあ、ごらんあれ。
噴火が爆発や溶岩や火砕流を伴うような劇的なものでなく、噴火が数10年の周期で起こっているので付近住民の理解もあったのだろうか、噴火が直因でなくなられた方はいなかったはずだ。しかし後の豪雨による土石流で被害者がでたと聞いている。噴煙をあとに街から脱出する時には、夏休み明けにはまた普段どおりの生活が始まるものと思っていたが、この地に帰ってくることは結局無かった。住んでいた辺りは結局再建されることなく、土石流対策の砂防ダムやら排水路になったようだ。次にこの地を訪れたのはいつだろうか?記憶にあるのは小学6年生の修学旅行での訪問だろう。
この噴火での知見、そして比較的わかりやすいといわれる火山性地震や噴火の予兆というのが次の2000年の噴火の際には大いに生かされていると思う。そのときは噴火がきわめて正確に予知され、それに基づき的確な避難指示が出され、温泉街のすぐそばに噴火口が開くような災害も人的被害は皆無であった。新聞にあった温泉街の人の話にこんなのがあった。自然の観光資源を利用しているのだからその負の部分も受け入れなければいけない、と。
「人生が変わった」なんて大げさ?噴火に巻き込まれること以前にここに住み始めたこと自体がひとつの人生の転機であった。たとえ噴火が無かったとしても。フランスに住んでいること自体がすでに普通じゃないと思われるかもしれないが、しかし、フランスに住み始めて10年、ひとつの町にこれほど長く住んだのは初めてというほど今が人生の安定期なのである。