ツールドフランス


自転車がスポーツとして高い地位に君臨するフランスでは、ツールドフランスが国をあげての一大イベントとなる。そしてレースが通過する町は通過するだけでも大変名誉に思うらしい。われわれが住む村も名誉の通過コースに選ばれ、Paris、Champs Elyseeを目指す最終日に通過していった。
実際、通過地点を見に行くと、テレビの中継で見るレースとはまったく異なるものを見ることとなる。沿道の人々歓声に迎えられて、の警察の先導、報道関連の車両が通ったかと思うと間髪入れずに自転車軍団がほとんどダンゴになって現れ、かけ抜け、去っていく。後には各チームや選手をサポートする、予備の自転車や機材を運搬する自動車が追いかけていく。その間わずか3分ほど。自転車軍団だけなら1分もかからないで通過していった。いままで何度かマラソンを沿道から観戦したことがあったが、根本から異なる。マラソンなら走る速さに驚かされもするが、一人が視界に入ってからかけ抜け、去っていくまで充分見ていられる時間があり、スタート直後でもなければ先頭から最後尾まで全てが通過するのに結構な時間がある。きっと、Tour de Franceでも山越の場面では各選手、体力の差が出るのであろうし、最終日の駆け引きはゴール前の周回部分で、それまでは勝負としてそれほど重要ではないのかもしれない。最終日スタート直後には選手に笑顔があり、走りながらインタビューに応じるものもあった。それにしても定点観戦がこれほどあっけないとはおもいもしなかった。数分で通りすぎていった後は速やかに道路の交通規制が解除され、集まっていた人々はあっという間に去っていき、静かな町が戻って来た。
それにしてもあの速さは普通ではない。観戦した点は谷を超えて急な坂道を登ってきた最も高い地点にもかかわらずかなりの速度である。1998年は薬物使用でスキャンダラスな大会であったが、あの超人ぶりはなにか腑に落ちない。
自転車がスポーツとして高い地位についているのは日本では考えられないことである。日本の自転車事情といえば駅前や商店街などの放置自転車であり、迷惑な買い物オバさんであったり、盗難、そして競輪である。それらの良し悪しを議論する前に日常の移動手段としての生活臭さがあり、フランスのようなゆとりや優雅さを感じさせない。もちろん完全無公害交通手段である自転車に異論はない。生活の道具だからといって安っぽく粗末に扱いさえしなければ自転車もエレガントになれるかもしれない。商品としての自転車も安っぽいのである。商品としての価格や仕上がりではなく思い入れが足りないのである。バイクや自動車のように大切にされる自転車が少ないのである。
フランスに来て妻用に自転車を買ったときのことである。スポーツ用品店で自転車(マウンテンバイク)を物色していると下は数百フランから上は5000フランを超えるものまでそろっており、ロード用のものにいたってはもっと高価なものまで並んでいる。店頭の見本を見て注文すると店員は在庫から同じ物を持ってきて、自転車の調整をはじめる。体格に合わせた各部の調整はもちろんのこと、フレームの各部、そして車輪のゆがみを見ながらスポークを一本一本調整するのである。20分ほどにもわたる調整作業のため順番待ちも半端ではない。しかし、自転車にここまでこだわり丁寧に調整してもらえるのには自転車に対する文化というものを感じることができた。日本の個人経営の自転車店のこだわり店長のような作業ではなく、大規模スポーツ店の一般店員が普通にこなす作業なのである。


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